留学エージェント①:Yoshitaka Senna Gotoさん【IT・Web分野で留学~カナダ編~】 | サービス | プロエンジニア

    留学エージェント①:Yoshitaka Senna Gotoさん【IT・Web分野で留学~カナダ編~】

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    公開日:2016年07月19日 最終更新日:2019年10月09日

    目次

    Yoshitaka Senna Gotoさん
    熊本の実家が印刷会社を経営しており、そこで高校生の時から働き始める。その後、会社が東京に進出するのをきっかけに自身も上京し、会社で働きながら、同時にデジタルハリウッドに入学してWebの勉強をする。その後、Web制作会社で働くも体調を崩し、新たな可能性を求めてバンクーバーに渡航。語学学校を経て、現地の広告代理店で働いた後、フリーとして独立。その間、自身で運営していたブログ「「バンクーバーのうぇぶ屋」(http://webya.opdsgn.com/)」を通して留学相談に乗ることが増えたことを機に、Webクリエイターに強みを持った留学・海外就職エージェントFrog(https://frogagent.com/)を設立。

    1. 小さい頃はどんなお子さんでしたか?

    生まれは熊本で、四人兄弟の長男です。幼少期はマセガキと言われていたのを覚えていますね。幼稚園の先生たちからも「もうちょっと子供でいいんじゃない?」と言われたりして(笑)。
    父親が地元で印刷系の会社を運営していたんですが、母親もそこで働いていて、両親共にすごい働いていました。家の中に会社がある、という様なすごく小さい会社だったんですが、父親が朝礼とかで偉そうに話をしているのをよーく聞いていて、あの真似事をしたら大人びて見えるんじゃないかなとか考えて、実際に真似をしてみたりと、そんなことをずっとやっていましたね。
    そうやって、人の真似事をするということを小さい頃からやっていたので、可愛くないとか、爺臭いとか言われるようになったんでしょうね(笑)。

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    2. 幼少期はマセガキと言われてたとのことですが、今は周りからどんな人だと言われますか?

    おちゃらけたキャラだと思われていると思います。一応Frogの社長にあたるんですが、開催しているイベントなんかでも、周りからは「え~次はセナさんかぁ~」みたいな感じで。絶対なめられてるなと思いますが、最早そういうキャラクターなんでしょうね(笑)。

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    3. 高校時代の頃をお話いただけますか?

    高校生の時からアルバイトとして父親の会社で働き始めていたんですが、周りからは社長の息子、という風には全然扱われていなかったです。なので、下積みからのスタートになるんですが、最初の頃は何百枚とある紙を積む、という作業をひたすらやっていました。それを半年間位続けてようやく卒業した後は、インクが固まらないようにコネるという作業をやったんですが、作業場がすごく熱かったので、真夏の日は本当に死ぬんじゃないかと思う位大変でしたね。その後、ようやく色の調整などを担当する色工に移ることができて、雑用的ではあるんですが仕事も面白いと感じるようになりましたね。
    ただ、印刷業界は100年以上続く業界で、同じ事の繰り返しをするというところがあって、紙を詰めて、インクを捏ねるだけ、しかも自分は高卒なので、このまま行ったら将来が無いと感じていて、部署異動の希望を出しました。そうしてDTPの仕事に移ることができたんですが、そこで初めてパソコンに触れたんですよね。1年位そこでは仕事をしたんですが、スーパーの卵が○○円とか、キャベツ一玉○○円といったチラシを作ったり、成人式の写真集の写真の補正とか、電線を消したりとか…photoshopの触りの様な作業ではあったんですが楽しかったですね。
    そうやって仕事をするうちに、これからの時代はパソコンだと思ったし、あと時代的にも当時はWebが盛んで、IT業界が盛り上がっている時期でもあって、「Web業界は新しいから、自分の様なガキンチョの話も聞いてくれるかも!」と単純に思ったんですよね。
    そんな中、会社が東京に営業所を出すというのを聞いて、東京に出たかったこともあって自分も付いていかせてもらいました。Web制作の勉強もしたかったので、上京と同時にデジタルハリウッドにも入学をして、1年間のWebプロデューサーコースを専攻しました。当時は、Web制作を勉強するといっても何を勉強するかすらもわからなかったので、デジハリは特に調べたり考えたりしないで選びました。

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    4. デジタルハリウッドの頃をお話しいただけますか?

    この時が一番辛い時期だったかもしれません。学校が月・水・金の週3日間だったんですが、この日は勉強に集中したかったので、会社は休ませてもらいました。その代わりに会社のサイトを作ったり、土日も全部働くからということで、大目に見てもらっていました。
    ちなみに、その時会社では営業の仕事をやっていったんですが、合って無かったですねー(笑)。根拠が合った上で話をするならわかるんですが、とりあえずインターホンを鳴らして行ってこいと言われて理由がわからないまま仕事をする体育会系のノリに、自分は最後まで慣れかなったですね。
    ただ、勉強と仕事を並行して続けるうちに、8ヶ月位経った頃、体にガタがきてしまったんですよね。デジハリでは、当時はオールナイトといのがあって、デジハリの環境を24時間ずっと使っていいようになっていたんですが、自分はそれを利用して夜中もずっと勉強していたので「デジハリの主」と言われる位でした。ほぼ住んでましたね(笑)。
    そうなってからは、会社の方は一旦休止という形にしてもらったんですが、仕事をしていないので、もう超貧乏生活でしたね。若干貯めていたお金があったのと、あと迷惑を掛けたんですが親からも支援をしてもらいながら、デジハリの後半は全部勉強に集中しました。
    そうやって必死になっていたお陰か、卒業する頃、デジタルフロンティアという、役員や採用担当者といった会社関係者を1000人位を集めた中で、全国の生徒から優秀作品を集めて表彰する大きな祭典があったんですが、そこに僕の作品を出展作品として選んでいただけたんですよね。僕がいたのは渋谷校だったんですが、渋谷校のWebプロデューサーコースの代表となることができました。その時に作ったのは、当時、大流行していたFlashを使ったポートフォリオとフォトサイトですね。デジハリにCDROMで作品は保管されているそうなんですが、今見てみたらすごく恥ずかしいでしょうね(笑)。
    イベントでは1000人規模の人たちの前で、ガクガク震えながら、「私はこういった作品を作りました…」といった感じでプレゼンをしたんですが、その時は緊張していたので、今となっては何を話したかは全く覚えていないです。でも、10代の頃にこれを経験できたのはすごく良かったと思います。今100人とか200人位を集めてセミナーをやっていますが、全然緊張しなくなりましたからね。

    当時は、学歴も無ければお金も無く、ツテも無ければコネも無く、技術も無ければ…という崖っぷちでした。でも、印刷機にかじりついて終わるんではなくて、自分で誇れるものを何か一つでも得たいと思って、必死にやっていました。この時の必死さというのは、今の自分にすごく生きているな、と思います。辛いことは無かったのかと聞かれたら、それはあったとは思います。でも、楽しいことをしている時って本当に時間を忘れてしまうと思うんですが、僕の場合はたまたまそれがWeb制作だったんですよね。なので、当時は辛いとかは考えずに、ただ必死にやっていました。
    そして何より、デジハリ時代に僕の担任を勤めて頂いた先生には今でも心から感謝しています。名前出して良いかわからないので伏せますが、僕にとっては間違いなく恩師と呼べる人でしたね。

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    5. デジハリ卒業後のことを教えていただけますか?

    卒業後は、ユナイティアさんにアシスタントディレクターとして入社しました。というのが、デジタルフロンティアにユナイティアの当時の社長だった西野さんが出席をしていて、その時に僕のスピーチを聞いてくれていて、それをきっかけに声を掛けてもらえたんですよね。いきなり西野さんとの面接だったんですが、その時に「よしくんさぁ、もっと他にできることはないの?例えば英語が喋れるとか、資格を持ってるとかさぁ。」といったことを言われたので、これは落ちたかなと思ったんですが、「じゃあアシスタントからやってみようか」と言っていただけたんです。なので、そう考えると僕はこれまで世間でいう就職活動をやったことが無いんですよね。自分の作品であったり、やってきたことを全面に出してアピールすることで、仕事に繋げてきましたので。
    ユナイティアでは、第二制作部という所に入って、ずっとアシスタントディレクターをしていました。当時、上司にあたるディレクターの方の元に2年間位付かせてもらったんですが、その方からはプロジェクトを回す時の、今の僕の土台になっている大切なことを沢山教えていただきました。
    あと、会社では、技術的なことを教えてもらうというよりは、むしろ技術的なことはするなという方向で、それよりもディレクション能力や人間関係の構築の仕方などを勉強しましたね。具体的に言うと、自分は当時19歳で周りは年上の人ばかりだったので、そういった人たちにどう話をして仕事をお願いするかや作業をお願いするか、といったことですね。

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    6. 教えてもらった、プロジェクトをうまく回すコツとはどの様なものでしょうか?

    うまく回していくにあたっては、コツというような大げさな物はなくて、結局、優しい人間が一番うまくやれるよね、と思っています。例えば、仮に一つのプロジェクトがあったとして、それが相手にとってどういったメリットがあるかを考える、これって優しさだと思うんです。相手の立場になって考えて、相手のことを思いやっているということが伝えられるようになる、その努力が大事だと思います。それは私は優しいですよ、これだけあなたのことを思ってますよと、と口先だけではダメで、自分がどういう風にしたら相手を喜ばせることができるのか・幸せにつなげることができるのかを考えて、行動に移していくことが必要だと考えています。
    ここはまだ僕自身、足りないと思える部分でもあるのですが、今も昔も意識し続けている事ではあるので、これからも大事にしていきたいですね。

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    7. セナさんの強みは、優しさなんですかね?

    優しさというのは最低限のことであって、僕の強みは変化に対する対応力じゃないかな、と思います。
    今の変化が速いと言われるご時世、一番強い人間って、たぶん自由な人だと思うんです。自由っていうと、”自分勝手に振る舞う人”と誤解されやすいところがあると思うんですが、僕の言う自由は、”変化に対応する力を付ける為の、自由な時間を作っている人”という意味です。今日の技術は明日には使えなくなっているもしれない、今の職業が明日には成り立っていないかもしれないという、変化が激しい今の時代、変化の速さに対応する為には、自分を成長させる為の、この自由な時間が絶対に必要だと思うんです。
    自分に対しての自由な時間をどうやって捻出するか、そしてその時間の中でどれだけ努力をしていくかということが、今は更に大事になっていると思っていて、そういった意味で、僕はすごく自由にやってきましたね。
    もう一つは、考える、ということをずっとしてきたことですね。昔から厳しい環境でスタートすることが多かったこともあって、この状況を打開する為にはどうすればいいのか、ということを考えて考えて考え抜いてきたことは、自分の自信になっています。考え抜いて実現した時の、あの「やってやった!」というアドレナリンが出る様な感覚が好きなんですよね(笑)。

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    8. そして、バンクーバーに行くわけですが、昔から海外に行こうと思っていたんですか?

    いや。全然思っていなかったですね。
    ユナイティアで働いていた頃、2年目位に体が弱くて倒れてしまって、2~3週間くらい入院してしまったんですよね。その時に初めて自分の体の限界を知って、同時に、日本の世の中一般で言われる仕事をバリバリする働き盛りの人たちと同じようにはなれないと思ったんですよね。その頃、ユナイティアにバンクーバーで働いたことがあるという人が2人位いて、治安が良くて綺麗な町で、映像分野が盛んだといい噂を聞いていて、海外はいいなと思うようになりました。最初はアメリカに行きたいと思っていたんですが、調べれば調べる程、アメリカに行って働くということは難しいということを知って、当時は断念しました。

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    9. バンクーバーに渡った当初はいかがでしたか?

    お金も無く、英語も話せず、という状態でバンクーバーに渡ったんですが、一応目的は持っていました。バンクーバーは「北のハリウッド」と言われていて映像分野がすごく盛んなんですが、元々僕は印刷会社にいたし、Webの会社にもいたし、次やるなら映像ではないかと思っていて、映像の学校に入る為のギリギリのお金だけを持って渡航したんです。
    ただ、実は現地の生徒と留学生の学費がそれぞれ違うんですが、僕は現地の生徒の学費を見てしまっていて、それが何百万円もして全然足りなかったんですよね。
    なので、結局映像の専門学校には行けなくて、仕方なく現地の語学学校に3ヶ月間くらい通って、その後はすぐ就職するという形になりました。9年位前の当時は時代が良くて、日本のビジネスが盛んで市場が大きいと海外から見られていたこともあって、向こうでの就職は今よりもしやすかったです。そういった時代の後押しもあって、日本での制作会社での経験を買っていただけたこともあり、現地の小さい広告代理店に入ることができました。
    ただ、入社後は本当に英語ができなくて、何もわからないし何も言えないしで、泣きそうになりながら必死で英語を勉強しました。技術に付いて行く為の勉強もずっとしていましたし、Meetupにも相当数行っていました。

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    10. ちなみに昔と違って、今は海外で仕事をするのは大変なんでしょうか?

    どの会社も、1~2年程しか働けなくて、その後働きたいとなったらVisaの負担をしないといけない、英語もそこまで話せないとなったら、現地のカナダ人を雇う方がよくて、日本人を雇いたいと思いませんよね。文化的な壁もあるし、あと、海外からは日本はIT先進国ではないよね、というイメージを正直持たれているので。
    ですので、学歴や経歴・キャリアはほぼゼロなんだと思わなくてはいけなくて、その時・その時代に合った自分の持っているスキルをアピールすることが必要です。そして、そのスキルがその人たちにいかにメリットになるかということを、お金の面からだけではなくて、例えば会社全体の効率アップに繋げられる、技術力アップに繋げられる、知識力アップに繋げらる…といった様に、深く考えた上で話ができないと、正直海外で働くことは難しいと思います。
    ですので、留学支援をさせていただく方々には、海外留学は決して簡単ではないことを伝えて、自分の存在意義を伝えることの重要性を話しているつもりです。
    ただ難しいといっても、海外に出る、ということ自体は、僕自身は最大の保険だと考えて勧めています。一度海外に出て、ゼロベースに立たされて、そこから本当の自分のアピールポイントが何なのかがわかったり、存在意義を作れるようになると、仮に今自分のいる場所や国がダメになったとしても、どんなところでも何とかやっていける様になると思うからです。

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    11. 広告代理店を辞めて、その後、フリーになったのは何でだったんでしょうか?

    フリーになったタイミングは、自分の持っていたブログが面白くなっていた時でしたね。収益源や人脈も広げられていて、これだったらフリーとしてでもやっていけると思いました。
    あと、実はブログをきっかけに、思った以上に海外のWeb制作会社やサービス会社からのコンタクトが多くて、というのが彼らは日本のマーケットを広げたいと思っていたからなんですよね。実際にシリコンバレーの会社から連絡があって、僕のブログで彼らのサービスを紹介していたんですが、すごいトラフィックがあったとのことで、是非日本に対してのマーケティングについて教えてほしいということで。最終的には日本のマーケティング開拓に協力しているということで、彼らから投資を受けることもできました。日本語のブログであっても、海外に対してアクションを起こすことができるし、コネクションを作ることができるということも、フリーとして踏み出した大きなきっかけでしたね。
    でも、ちなみに僕の中では、どこかに所属して働くことと、独立して働くことの違いはなくて、どちらも自分の出来ることをアピールしたり、相手に価値を与える、という点では変わらないと思うんです。でも、バンクーバーに来たことも大きかったかもしれないです。というのが、特にWebデザイナーやITエンジニアといった職種の人は3人に1人はフリーでやっているんですよね。副業文化でもあるので、会社に所属しつつ、一方でフリーで案件を受けていたりするのも普通で、それでいて結局やっている内容は一緒だったりするんです。
    今後、もしかしたら僕も会社に所属することがあるかもしれませんが、所属うんぬんではなく、基本的にはやりたいことができる形態を選ぶ、という考え方です。

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    12. ご自身でブログを始めたきっかけは何だったんでしょうか?

    最初はバナー広告を入れたいとか、そういった理由からでしたが、元々自分のメディアを持つことに興味があったし、デジタルフロンティアの頃からもそうでですが、目立つのが好きだったんですよね(笑)。
      最初の頃は色々ブログを試していて、2年間位は全く無名のブログをやっていました。当時はクール感を出したくてサイトの画面を真っ黒にしていて、しかもその中で自分のことを「小生」と呼んだりしていて。今思うとものすごく恥ずかしいですよね(笑)。試行錯誤してやっていたんですが、ほとんど人に見てもらえませんでした。
    でも、そこから自分のベースである考えるということをやって、「続ければ何んとなかると思っていたけど違った。それは何でなんだろうな。」「じゃあ次はどすればいいんだろう。」こういったことを考えて考えて、突き詰めて作ったのが今の「バンクーバーのうぇぶ屋」(http://webya.opdsgn.com/)です。

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    13. そこから今の留学支援を始めた経緯を教えていただけますか?

    5年前位から今のサイトは始めたんですが、当時はWeb系で海外の情報発信している人自体がすごく少なくて、やっていたのが僕と弊社のManaくらいでした。彼女の方が先に海外のWeb制作者という形で活動を始めていて(「Webクリエイターボックス」http://www.webcreatorbox.com/)、見てくれている人の数は僕の何倍もあると思います。
    そのうちに海外でWeb・IT、ということに興味を持っている方からたくさん問い合わせをもらうようになって、元々僕個人で雑談ベースではあったんですが留学の相談も受けていたんですが、「あの人に相談したら、海外留学の道が開けるらしいよ。」と言われるようになっていきました。相談を受けて話を聞いているうちに、もっと僕らの経験であったり、知っていることを伝えたら役に立てることがたくさんあるんじゃないかと思ったんですよね。丁度、そう思っていた頃、Manaさんがバンクーバーに戻ってきて就職をして、そのタイミングで会社を一緒にやりませんかという話になり、Frogの設立に至りました。
    Frogという社名は、「井の中の蛙、大海を知らず」という諺からです。「井の中の蛙が、じゃあもし大海を知ったらどうなるのか、そこを想像するのって楽しいよね。」という話になったんですよね。2人でSkypeで相談してたんですが、最初の方は「SenaとManaだから『SM』でいいんじゃない?」「いやそれだと変な意味になるから!」とかいったやり取りを1時間位やった末、考えるのに疲れてきた頃、「もうダメだったら後で変えればいいよ!」ということで今のFrogに落ち着きました。
    設立した当初は、これから皆に提供できるものがどんどん増えていくだろうな、ということに嬉しさを感じましたね。
    経営はしたことがなかったですし、会社の作り方もわからなかったので、本当にいろんな人に話を聞きました。ちなみに、会社の作り方を僕に教えてくれたのは、当時19歳の日本人の大学生で、自分の会社をバンクーバーで立ち上げた人だったんですが、海外に来る人はやっぱり面白い人が多いと感じますね。

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    14. 現在、Frogでの留学支援はどの様な感じですか?

    留学相談は、実際に話さないとわからないので全部Skypeで行っています。問い合わせが止むことがないので、ほぼ毎日行っていて、面談時間は平均すると1時間半程ですね。Frogでは留学支援だけではなくて、その先の就職支援をメインに行っているんですが、実績が出てきているからか、問い合わせ数は順調に増えています。
    ただ、留学というと、多くの人が単なるワーキングホリデーどまり、楽しい楽しいで終わってしまって、その先のキャリアに繋がっていないケースが多いように思います。海外に行くと、浮足立ってしうまうというのもあるでしょうし。でも、僕らはキャリアを意識した上での留学というのが意味のある留学だと思っています。自分をゼロベースにして考えて、その国で通じるだけのスキルであったりコミュニケーションであったりを、先のキャリアを見据えて身に付けることを目指すのが、本当の留学だと言いたいと考えています。
    なので、最初問い合わせをいただいた際にメールで返信をするんですが、いきなり第一通目で海外就職がどれだけ難しいか、そのことに関する課題についてを書いて送るようにしています。簡単だとはやっぱり思ってほしくないので。
    そうして相談に来てくださる方は面白い方が多くて、最近だと、元銀行員でWeb系に転職をしたいという人や、シアトルの領事館で公務員をやっているけれど、これからの時代の流れに沿ってWeb業界に入りたいという人とか…。これまではWeb関係の人が多かったのが、今はWeb以外の人からの連絡も増えてきています。
    ですので、今まではWeb系の人に対して、自分たちのベースを元に話をする形でしたが、今では他の業界の人たち向けに、じゃあそういったWeb初心者の人がこちらで通用するだけのスキルセットを身に付ける為にはどうすればいいかの方法を新しく考えるようになっていて、それがまた楽しいですね。
    今はフリーランスの頃とは比じゃない位、日々考えるといことが多いですし、質も高まっていると思います。

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    15. 今のお仕事は楽しいですか?

    はい。楽しいですね。でも、僕はどんな仕事をしても正直楽しめると思います。コンビニ店員であったとしても、やり方を考えて、そのやり方次第でいくらでも自分で面白くできると思うので。
    元々僕は弱虫なんですよね。辛いのが大っ嫌いだし、苦しむのが大っ嫌いだし。落ち込んだりするのも、あと重労働をするのも嫌ですし。そいういった所も、今のこの考える、という姿勢に繋がっているんでしょうね。じゃあ苦しい・辛いこの状況をどうしたら打開できるのか、と考えて工夫をしてきたので。
    やりたいこや理想、夢って叶わないことはないと思っていて、諦めたか・諦めなかったかの二択しかないと正直思います。考えるということを止めなければ、世界はどれだけ広がっていくんだろう、それってすごく楽しいことだよなぁと、いつも思っています。

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    16. 最後に、今後の目標や、夢を教えていただけますか?

    僕は働く場所にはこだわっていないので、一番メリットのある場所で仕事をしていくつもりで、世界の変化に合わせて僕自身やFrog自体の形を変えていきながら、これからもできることを一個一個探していこうと思っています。
    そして日本のIT業界の水準は、世界で見ると、給与的にも環境的にも高くないので、まずはその現状を知ってもらい、どうすればいいかを伝えいきたいです。そうすることで、海外で通用する日本人が増えたり、業界自体の水準を世界レベルにアップすることに繋げることで、日本のIT業界を変えていきたいです。
    現時点だと、海外就職=アメリカという印象が強いので、あまりにも賭けの要素が強すぎるのは現状ありますが、カナダやシンガポール等、他国でリファレンスを得た後にアメリカに挑戦という人は、知られていないだけで実際は相当数いる。そういう僕らの当たり前をもっと日本にいるエンジニアの皆さんには知っていただき、どれだけクリエイターという業種が未来を作る素晴らしい職業なのかという事を再認識して欲しいと思っています。
    あとは、世界で一番自由なニートになることですかね(笑)。というのが、僕の夢というのが、常に好きな事を勉強していられる環境に居ることなんです。その為にはお金もそうなんですが、何よりも自由な時間が必要なんですよね。常に勉強できる人間でいたい、そういった意味で「世界一自由なニート」みたいな夢があります!もちろん仕事もするのでニートじゃないんでしょうけど、なんだか好きな事を好きな時間に好きなだけやってる人ってニートって呼ばれそうなので、もうそれで良いです(笑)

    17. ありがとうございました!

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